「炭治郎が割った岩?」の巨石群に連なる霊山、大岩山には、関東最古 日本三大毘沙門天(びしゃもんてん):最勝寺があります。
『鬼滅の刃』とゆかりのありそうな岩は、「名草巨石群」にあります。
名草の巨石群からは、「行道山」「石尊山」「大岩山」「両崖山」など、足利の山々を縦走することができ、古くから、修験者の修行の場(霊山)とされてきました。
本稿では、足利市内から大岩山毘沙門天(最勝寺)と、大岩山の頂上「剣ヶ峯」を目指します。
初めてお越しになる方のために、足利市内から登山口までのルートを含め、
画像で詳しく御案内いたします。
そして、みなさんの、楽しくて安全なハイキングのためのお手伝いができたら幸いです。
目次
【大岩山毘沙門天(最勝寺):基本情報】
正式名称 | 大岩山多聞院最勝寺(大岩山毘沙門天) (さいしょうじ) |
---|---|
宗 派 | 真言宗 豊山派 |
御本尊 | 毘沙門天 |
所在地 | 〒326-0841 足利市大岩町264番地(最勝寺本坊) 足利市大岩町570番地(毘沙門天本堂) |
電 話 | 0284-21-8885(最勝寺本坊) 0284-21-0211(毘沙門天本堂) |
アクセス | R両毛線足利駅:車約20分 徒歩約120分 東武伊勢崎線駅足利市駅:車20分 徒歩約120分 北関東自動車道足利IC:30分 北関東自動車道太田桐生IC:25分 東北自動車道佐野藤岡IC:60分 |
駐車場 (無料) |
大岩山公園:10台 毘沙門天参道石段下:3~4台 男坂口駐車場:20台~ 本坊下駐車場:15台 |
特記事項 | 期間限定御朱印 ・毎月1日。正月三が日 |
毎月1日 | 例祭護摩祈願 |
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毎寅日 | 開運金運護摩祈願 |
12月31日 | 悪口祭(あくたいまつり) |
1月1日 | 滝流しの式 初日の出遥拝式 |
1月1日~3日 | 新春 夢叶初護摩祈願 |
1月14日 | どんと焼き |
2月3日 | 節分会 |
2月21日 | 山林火災 火難除祈願 |
4月1日 | 春季大祭 |
7月7日 | 七夕祭り |
10月1日 | 秋季大祭 |
【日本三大・関東最古の毘沙門天】
* 『足利の国宝と日本三大宝仏』パンフレットより
最勝寺(大岩山毘沙門天)には、日本三大・関東最古の毘沙門天が安置されています。
国宝鑁阿寺の詳細は、
国宝鑁阿寺:地元足利から御紹介「歴史と伝説の散歩道」
日本三大・五百羅漢尊の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイクル・東:4時間」コース8 ⑥ 【徳蔵寺】を御覧ください。
【足利市内~大岩毘沙門天・登山口までのルート】
足利市通七丁目交差点からの御案内です。
通七丁目交差点には、森高千里さんの歌『渡良瀬橋』の歌詞に登場する「床屋さん」と「公衆電話」があります。
通七丁目交差点は、県道40号(足利環状線)と、県道67号(桐生岩舟線:中央通り)が交差する地点です。
反対側歩道のマンション下に、「床屋さん」と「公衆電話」がありますね。
駅から通七丁目交差点までのルートは、
「渡良瀬橋」車椅子や徒歩で安全に楽しむルート
を画像で紹介。
「通二丁目交差点」(第1キーポイント)などを御覧ください。
「床屋さん」と「公衆電話」を右手側にして、県道67号線(中央通り)の歩道を西に進みます。
歩道を進むと、右手側に「常念寺」(じょうねんじ)と保育園があります。
歩道は、上り坂で、切通しになっており、上りきると、Y字路交差点になります。
切通を上りきると、交差点があり、右側(北)の道路へ進みます。
(通7丁目交差点から、903m)2つ目の切通しの前に着きます。
切通しの前には、手押しの信号機があります。
坂の勾配は、8%です。
レンタサイクルだと、けっこう良い運動になりますよ。
(通7丁目交差点から、1.42km)切通しの坂を下りると、まもなく丁字路に着きます。
丁字路を右折(北)し、直進します。
(通7丁目交差点から、1.77km)丁字路をしばらく進むと、道路は左側に、90度カーブしています。
道なりに左折します。
道路は、間もなく、今度は右に90度カーブしています。
突き当たりの、ゴミ収集ステーションが目印です。
(通7丁目交差点から、1.93km)道なりに、ひたすら北(前方の山)に向かって進みます。
(通7丁目交差点から、2.46km)右手側に、「東神社」があります。
さらに北に進みます。
(通7丁目交差点から、2.9km)左側「金丸五十部(よべ)通り」との交差点です。
さらに北へ直進します。
(通7丁目交差点から、3.2km)北関東自動車道のガード下を進みます。
(通7丁目交差点から、3.30km)北関東自動車道のガード下を通ると、すぐ左手側に、鹿島神社」があります。
さらに道路を北に進むと、だんだんと勾配が増してきます。
やがて、道路の中央に鎮座する祠が見えてきます。
祠を通過すると、マウンテンバイクでも、結構きつい坂になってきます。
立て札には、「毘沙門天本堂 修復寄進受付所」と記されています。
毘沙門天は、大岩山多聞院「最勝寺」が管理しており、立て札のある山道を登ると、「最勝寺本坊」です。
毘沙門天本堂は、この先、大岩山山頂付近にあります。
周辺にコンビニがなく、登山口の駐車場にも自動販売機はありません。
ありがたいポイントに、ただ一つの販売機があり、良心的な価格(すべて100円)で、ミネラルウォーターなどが購入できます。
(通7丁目交差点から、3.76km)
道路の右側に、男坂口駐車場があります。
男坂口駐車場の相向かい左側に、「男坂」登山口があります。
男坂入り口から、奉納羅漢像が整備されています。
上の画像は過去のものですが、左手側は公衆トイレと駐車場で、右手側に毘沙門天本堂に向かう、「男坂」登山口があります。
駐車場には、乗用車が30台ほど駐車可能です。
<大岩山毘沙門天・男坂駐車場から先の駐車場>
* 幅員減少・側溝注意
駐車場名 | 収容台数(台) |
---|---|
女坂口 | 10 |
境内石段下 | 5 |
西公園 公衆トイレ |
20 |
【大岩毘沙門天:本堂に向かう3コース】
大岩山のふもとから、毘沙門天本堂(最勝寺本堂)へ続く参道は、3コースあります。
(以下、毘沙門天本堂と記します)
コース名 | 所要時間(分) | 距離(m) |
---|---|---|
男坂経由 | 徒歩(25) | 600 |
女坂経由 | 徒歩 (30) | 600 |
道路 | 徒歩 (40) 車 (5)分 | 1700 |
<大岩山毘沙門天:男坂コース>
毘沙門天本堂へ続く参道のうち、もっとも険しいコースです。
男坂駐車場の横にある「大岩山多聞天」と刻まれた寺標の奥に、男坂入り口の石段があります。
男坂は、尾根をつたって、真っ直ぐに本堂に向かう山道で、傾斜面は特に入り口付近が岩場で、急になっています。
<大岩山毘沙門天:女坂コース>
毘沙門天本堂へ向かう参道のうち、2番目に険しいコースです。
女坂入り口は、男坂入り口より自動車道を5分ほど上ると、左手側の山裾に女坂入り口があります。
<女坂公園>
駐車場から続く羅漢像を上にたどって上ると、女坂坂入り口前の広場「女坂公園」があります。
五百羅漢は、永代祈願として奉納されたもので、現在では(2024.2.8現在)百十余を数えます。
<女坂入り口>
女坂は、谷筋を登る山道で、男坂に比べて緩やかです。
女坂の終点付近は、やや急斜面のつづら折りになっています。
<大岩山毘沙門天:自動車道コース>
3つの参道のうち、もっとも緩やかなコースです。
参道は、すべてアスファルトで舗装されており。
毘沙門天本堂入り口まで通じています。
さらに自動車道は、毘沙門天本堂入り口から先へ、西公園、東公園まで続いています。
【大岩山毘沙門天:最勝寺本堂へ】
男坂と女坂から登ると、合流点に到達します。
合流点から、数メートル登ると、石段下駐車場に到達します。
<大岩山毘沙門天:石段下駐車場へのアクセス>
場 所 | 距離} (km) |
時間 (分) |
---|---|---|
JR足利駅 | 8 | 車:25 |
JR山前駅 | 6 | 車:15 徒歩:60 |
東武足利市駅 | 8 | 車:20 |
市バス(松田線) 三重郵便局前 |
4 | 徒歩:40 |
<大岩山毘沙門天:山門に向かう石段>
石段下駐車場から、59段の石段が続いています。
59段の石段を上ると、平坦地になり、さらに23段の石段が続いています。
<大岩山毘沙門天:山門(仁王門)>
毘沙門天本堂にいたる石段の下に山門があり、両側には「金剛力士像」が立っています。
過日の両崖山(りょうがいさん)の山火事によって、仏像等が緊急避難され、損傷状態の調査を行う予定です。(皆様の理解ある浄財を御願いしています)
大岩山ふもとの山坊入り口の看板です。
山林火災のため、金剛力士像のお顔も非難されたため、拝見できませんでした。
山門は、元禄6年(1693)の改築とされています。
山門の構造は、木造、入母屋・桟瓦葺です。
礎石は2段重ねになっており、上段には御影石が使われています。
桟瓦葺(さんがわらぶき):桟(さん)木に引っかけて、瓦を固定する工法。
山門に賓頭盧尊者(釈迦の弟子)が鎮座しています。
筆者は、頭と顔を撫でました。
「おびんずるさま」
賓頭盧尊者は、釈迦の弟子で十六羅漢(らかん)の一番目で、卓越した神通力(じんつうりき)をもち「おびんずるさま」と呼ばれ、親しまれてきました。
釈迦に、この世に留まり衆生を救うという命を受け、「撫で仏」として知られています。
自分の悪いところと、「おびんずるさま」の同じ部分を交互に撫でると、病気が治ると言われています。
由緒書より 抜粋
山門の上に、本堂へ向かう石段が続きます。
上まで41段の石段の途中、27段目に鐘楼(しょうろう)へ通じる通路があります。
<大岩山毘沙門天:鐘楼堂>
大岩山毘沙門天の縁起によると、行基菩薩が天平17年(745)に大岩山毘沙門天を開山したのち、聖武天皇の勅願により、鐘楼堂が建立されました。
太平洋戦争時、鰐口・梵鐘を供出したため、昭和28年(1953)に鰐口・梵鐘が奉納されましたが、損傷のため、新しい鐘が奉納され現在に至ります。
* 勅願(ちょくがん):天皇の命令による祈願。
* 鰐口(わにぐち):寺社の軒先に掛け、全面に垂れた緒(お)で打ち鳴らす金属製仏具。
鰐口の名前は、鈴を平たくしたような形状で、大きく口が開いているので、鰐口といいます。
* 梵鐘(ぼんしょう):仏教法具としての釣鐘(つりがね)。
* 撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らします。
一撞き100円です。「お値段以上!」の重く余韻のある響きでした。
<大岩毘沙門天:本堂>
(間口3間、奥行4間、木造入母屋造り)
天平17年(745年)、行基菩薩により、大岩山毘沙門天:大岩山多聞院最勝寺は
開山されました。翌年の天平18年(746)に、聖武天皇の勅願により、本堂を含む諸堂が建立されました。
大岩山毘沙門天、多聞院最勝寺の建物は、天平17年(745)の開山以来、落雷等による
火災で焼失、再建を繰り返してきました。文安4年(1447)5月の雷火により、山門を残し、諸堂の全てを焼失しています。
その後、再建されましたが宝暦7年(1757)に本堂が再び焼失しました。
宝暦12年(1762)に再建され、現在に至ります。
【大岩毘沙門天:山王権現社】
本堂の西側に、大黒天とともに、山王権現社が鎮座しています。
聖武天皇の御字、行基上人が大和国、菅原寺に滞在した際のことです。
行基上人は、聖徳太子作、閻浮檀金(えんぶだごん)でできた毘沙門天像を常に所持していました。
そして、関東地方へ行き霊地を開き、この毘沙門像を安置して衆生を救済したいと誓っていました。
ある夜の夢に、山王権現が現れ、「関東の足利の霊山に登れば、所願が叶う」とし、行基菩薩を大岩山のある足利の地へといざないました。
* 閻浮檀金(えんぶだごん):純金のこと。
毘沙門天像(ご本尊)は、一寸八分(約5.4cm)で、閻浮檀金というのは、梵語で閻浮堤の大森林を流れる河で産する砂金のこと。
【大岩毘沙門天:スギ】
本堂の東側に、ひときわ目立つスギがあります。(スギの左手側奥に、公衆トイレがあります)
<大岩毘沙門天のスギ:大きさと樹齢>
項 目 | 単位(m) 樹齢(年) |
---|---|
太 さ | 目通り 7 |
高 さ | 29 |
枝張り | 東西 16 南北 33 |
樹齢’推定) | 約 600 |
<大岩毘沙門天:スギについて>
(足利市重要文化財:天然記念物)
毘沙門天のスギは、市内最大です。
枝は、ほとんどが下に曲って、逆さスギを思わせるような形です。
落雷にあったらしく、幹の南西側の一部が下から上まで縦に裂けた跡があり、頂上の
部分も枯れ落ちています。樹皮は厚くて、縦に大きく亀裂があり、いかにも古木らしい様相です。
樹勢はなお盛んで、葉の緑も若々しいです。
昭和40年3月1日 指定 足利教育委員会
【大岩毘沙門天:絵馬、おみくじ】
【大岩毘沙門天:本堂から剣ヶ峰へ】
大岩毘沙門天本堂から、大岩山剣ヶ峰までは、0.6km 徒歩約20分です。
毘沙門天本堂から、西公園、東公園を経由して、大岩山山頂417mの剣ヶ峰を目指します。
<大岩毘沙門天:本堂西側の大黒天>
毘沙門天本堂の西側に、山王権現社とともに、大黒天が祀られています。
大黒天を右手側にして、西に進むと、簡易トイレがあり、「暖地性植物自生地」の
案内板があります。
<大岩山:暖帯性植物自生地の説明板>
足利市は、暖帯植物のほぼ北限に位置しています。
毘沙門天本堂を西に、3分ほど進むと、行道山浄因寺を示す道標があります。
道標方向に、山肌を登ると、西公園に着きます。
道標方向に進まず、西に直進すると、自動車道路と合流し、鋪装道路を上っても、
西公園に到達します。
西公園から東に、5分ほど進むと、東公園に着きます。
東公園の広場には、「行道山」と「名草の巨石郡」を示す道標が立っています。
しかし、道標には「剣ヶ峰」の名前はありませんでした。
「大岩山・行道山」の方向へ進みます。
行道山までは、大岩山剣ヶ峰経由で、石尊山見晴台を巡る90分のルートです。
大岩山の頂上(剣ヶ峰)を目指します。
整備された山道を登ると、間もなく「野山ハイキングコース」と「剣ヶ峰」の
分岐点に到着します。
ハイキングコースの分岐点道標から、5分ほどで頂上(剣ヶ峰)に到着しました。
ハイキングコースは、「関東ふれあいの道」になっています。
栃木県:6・山なみのみち:厳島神社~行道産浄因寺栃木県:7・歴史のまちを臨むみち:行道山浄因寺~JR両毛線足利駅
剣ヶ峰から、行道山浄因寺までは、1.5km。
JR足利駅までは、7.5kmの表示版が設置されていました。
【大岩毘沙門天:叶権現(かのうごんげん)】
剣ヶ峰から、毘沙門天本堂に戻り、石段を下りました。
石段下駐車場には、「月谷町・両崖山・織姫神社」と「叶権現・男坂・女坂」方面を示す道標が立っています。
石段下駐車場から、叶権現を目指します。
石段下駐車場のすぐ下の、男坂と女坂の合流地点に戻りました。
男坂・女坂合流地点の隣に、叶権現を示す道標が立っています。
叶権現までは、合流地点から、下る山道になっています。
合流地点から、叶権現に下る山道は、人通りが多くないようで、道は確保されていますが、
足下があまり良くありません。
山道を下り、5分ほどで叶権現に到着します。
祠は、断崖絶壁に鎮座していました。
山道は、鳥居の前で終点になっています。
急な階段を上り、祠に向かいます。
叶権現は、鑁阿寺(ばんなじ)の開祖である足利義兼の孫、足利泰氏が祀ったものとされています。
足利泰氏が山下平石の智光寺より大岩山へ、「百ヶ日の祈願」をこめて、参拝していました。
九十九日目に、行基堂のそばを通りかかった際に、一匹の白蛇が、岩の間から現れたのを目にしました。
願いがかなった印だと思い、白蛇を捕らえて、岩穴に納め、一間四面の茅葺き伝堂を建てて、叶権現と称し祀ったものと言われています。
叶権現は、その名のとおり、願いごとはなんでも叶うと伝えられている神社です。
境内由緒書より 抜粋
【大岩山毘沙門天:大岩山の石】
毘沙門天本堂に向かう石段下にある駒立岩です。
奈良・平安・鎌倉時代の武士が駒を止め、休みし岩といわれ、触れることによって、
健脚俊敏になると伝えられています。毘沙門天 当山主
男坂と女坂の合流点に、子種岩があります。
当時、八人の白衣の金剛童子が忽然と姿を消し、化石となりました。
叶権現・毘沙門天信仰をなし、子供のなき人が、岩を触ったところ、授かったという伝説があります。
毘沙門天 当山主
【大岩山毘沙門天:石造層塔】
男坂を登りきると、東屋と石造層塔があります。
背面の銘文から、建長8年(1256)に建立されたものとされます。
足利氏4代、足利泰氏により、父義氏の供養のために建てたものと考えられます。
全体的に、鎌倉初期から中期の特徴を良く表しており、紀年銘を持つ層塔としては、栃木県内で最も古い層塔として、貴重な文化財です。
栃木県教育委員会・足利市教育委員会より 抜粋
【大岩山毘沙門天:男坂を下る】
急斜面の男坂を登ってkたときは、東屋を見てほっとしました。感謝の気持ちをこめて、
幾度も深呼吸するほどです。
帰りは、少し余裕な心持ちで、下山しましょう。
男坂から、足利市の街並を眺めていると、毘沙門天の鐘の音が聞こえてきます。
ふと、母の俳句が思い浮かびました。
「鐘の音の 余韻は花に 和らかし」
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
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